東京高等裁判所 昭和49年(ネ)1201号 判決 1975年8月05日
控訴人
木村徳次郎
右訴訟代理人
斎藤義夫
被控訴人
鈴木幸夫
被控訴人
稲見春江
右両名訴訟代理人
牧野寿太郎
主文
原判決中控訴人敗訴部分を取消す。
被控訴人らの請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
一控訴人が本件建物を昭和二四年頃被控訴人らの亡父鈴木診三から期間の定めなく賃料一か月金一二〇〇円の約で賃借したこと、昭和二六年一月三一日鈴木診三が死亡し被控訴人両名が共同相続し、各二分の一の持分で右賃貸人たる地位を承継したこと、被控訴人らが控訴人に対し昭和四二年六月九日到達の書面で右賃貸借契約解除の申入れの意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二そこで、右解約申入れにつき正当事由の有無を検討すると、本件は、当事者双方の主張上右正当事由の有無は、本件建物につき被控訴人両名のうち鈴木幸夫の自己使用の必要性すなわち同被控訴人が入居できないことによる不利益と、控訴人が同建物を明渡すことによつてこうむる不利益との比較考量、併せて明渡交渉の過程における双方の態度、ならびに被控訴人らが金七〇万円ないし一五〇万円程度の立退料を支払うことが正当事由の補強条件になるかどうかによつて決せられるものであるといわなければならない。
(一) そこで先ず被控訴人側の事情についてみると、<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。
1 被控訴人幸夫は、現在三四才(昭和一六年五月二四日生)であるが、中学校卒業後親方でありかつ従兄であると共に姉の夫である鵜沢三郎のもとに大工の職人として弟子入りをして、後記結婚をするまでは住込みで働き、月収として昭和四六年頃四万五〇〇〇円、昭和四八年頃で八万円、現在で一三万円程の固定給を得ているが、同人は、右鵜沢三郎からは右のように仕事上のことばかりでなく父親の死亡後は結婚問題、住宅問題などあらゆる面で親代りとして面倒をみてもらつており、最初の結婚話はすでに同人の二二、三才位頃あつたが住宅問題が解決しなかつたので破談となり、その後昭和四七年五月現在の妻と結婚をしたこと。
2 本件建物は、被控訴人両名が父から相続してその共有となつているが、事実上表道路から向つて右半分が幸夫、左半分が春江の所有とすることに内約ができ、被控訴人春江は左半分を二階建に増築して現にこれを店舗兼住宅として使用中であり、被控訴人幸夫は本件係争のため右半分に入居できないので、前記結婚後肩書現住所に居住しているが、現住家屋は、被控訴人幸夫の妻の父戸鹿野権十郎がもともと貸家とする目的で建設した家作数軒の内の一軒であり、一戸建二階家であつて階下が六畳と三畳と台所と風呂場、階上が六畳と四畳の二間であつて、被控訴人幸夫は、原審においては右現住居のことを「アパートの一階」を借りている旨供述したが実際は右のとおりであり、これを家賃月額一万八〇〇〇円で借り受け、その家賃は世間並相当であつて、賃貸借契約当時本件訴訟が解決するまでという約で借りたものであるが、家主である妻の父において同建物を自ら必要とする如き特段の事情は全く認められず、実際上も被控訴人幸夫は同所の明渡を求められておらず、現在そこに妻及び昭和四八年に生れた子と計三人で暮していること。
3 本件建物は、被控訴人幸夫の親方の鵜沢三郎方の極く近所に所在し、同被控訴人が親方から仕事の指示をうけるについては至便の距離にあるが、他方肩書現住所から右親方の家までは、バス利用で所要時間三、四〇分、京成電車利用で駅が三つ目という距離にあること。ただし、被控訴人幸夫の大工仕事は、常に必らず親方の家に寄つてからでなければ仕事ができないというわけではなく、直接現場に赴いて仕事をすることもあること。
4 被控訴人幸夫は、本件建物以外には資産を有しないが、前記定職を身につけて確実に月収があるほか、前記住込期間中の給料から食費や小遣いを差引いた残りは、鵜沢三郎において同被控訴人が将来まとまつた金を必要とするときに備えて天引きをして積立てていること。
(二) 次に、控訴人側の事情についてみると、<証拠>によると、次の各事実が認められる。
1 控訴人の姉の夫鵜沢由蔵は、被控訴人らの亡父鈴木診三の実弟であり、したがつて鈴木診三と控訴人とは義理の兄弟として、真実の兄弟の如く懇意な仲にあつたこと。
2 控訴人は、昭和七年来本件建物の所在地の隣地に住み、同所で紫檀、黒檀等の机を自ら製造販売していたところ、昭和二〇年三月の空襲によつて罹災し、前記鈴木診三が本件建物を建てるについて、控訴人も土台石や焼トタン等を拾い集めたり、診三が大工仕事をするのを手伝つたりしてその建築に協力し、当時は一五坪以上の家は建てられないように統制されていたのを両名の家という名目で一六坪の建物を建築し、直ちに控訴人がこれに居住し、住みながら少しづつ手を加えていつたのであるが、もともと診三の名で建築許可を得、診三が主要材料を出していたので、控訴人はとくにその所有関係を診三と話合つたわけではなかつたが、おのずから地代や固定資産税相当分を負担したほか、昭和二四年からはそのほかに家賃を月額一二〇〇円と定めてこれを支払つて来たこと。
3 控訴人は、本件建物に居住するようになつてからも座卓、食卓の製造販売をしていたが、最近はそれらがデコラ製品となつたので専ら加工、販売だけを営み、顧客は昔からの知合いや近所に住む人達が主であつて、店員も置かずに一人だけの商いで毎月平均三万円弱程度の純益をあげ、これによつて生計をたてているが、仮に本件建物を明渡して他所に移転すれば、そのような店舗をもつことも困難となるうえ、顧客を失い、長年の商売を廃業せざるを得なくなり、その結果自立して生計をたてることが全くできなくなること。
4 控訴人は、心臓喘息、高血圧等の持病のため自宅から通院しながら、前記のような店で商売するほか、他に格別の資産を有しないこと。
5 控訴人は、明治四一年二月生れで現在六七才であるが、早く妻と離別し、本件建物に昭和一七年生れで独身の三男と二人で住んでいるが、その三男は、二年程前は臨時の頼まれ仕事などで月々約四万円の収入を得ていた程度であつて、最近も勤めをかえたばかりでさほどの収入はなく、同人自身も本件建物を退去して他に移転するあてがあるわけでなく、更に控訴人が職を失つた場合にいまだ控訴人を扶養する余力があるとは認められず、また控訴人の長男は大工として百貨店の装飾部に勤め月収一〇万円位を得埼玉県志木に分譲住宅を買つて所有しているが、比較的建物が小さく住居用の部屋は六畳と四畳半の二間で、これに妻と子供二人の家族構成で住んでおり、また二男は江戸川区役所に勤務し西千葉の団地に居住しているが、そこでも二部屋と台所だけのところに一家四人が住んでおり、以上いずれも控訴人が同居するには狭隘に過ぎ、その他長女から三女までも、勤め人と結婚したり、離別したものと妻のもとで養育され爾後事実上全く交際が杜絶しているなど、ともかく控訴人を引き取つて扶養する態勢や余力があるものとは認められないこと。
(三) 更に、本件明渡紛争の発端ならびに明渡交渉の過程についてみると、<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。
1 被控訴人幸夫が鵜沢三郎を通じて控訴人に本件建物の明渡の折衝をはじめたのは、同被控訴人が二三才位の丁度最初の結婚話がはじまつた頃からのことであり、これに対して控訴人は、本件建物が建築された当初の前記認定の経緯を理由に、極く素朴な見解から自分にも本件建物に「半分の権利」があると主張してこれを明渡す意思のないことを明らかにし、に双方間の明渡紛争が顕在化するに至り、またそれより先控訴人において被控訴人らが本件建物を自分に無断で第三者へ処分しようとしているとの疑いを抱き、地代を地主に直接支払おうとしたことから、被控訴人らにおいて本件建物の賃料を受領しなくなり、爾来本件建物の賃料は当初の月額一二〇〇円に据え置かれたまま、昭和三六年三月頃から控訴人においてこれを供託していること。
2 昭和四一年一月一一日被控訴人側からその兄鈴木義次、叔父の平林八郎、控訴人側からその姉の夫の鵜沢由蔵、控訴人の長女の夫の若林英治、以上の外に川崎篤、野老正司の六名が会合して、双方の親族が第三者的立場から被控訴人幸夫と控訴人間の紛争を仲裁する方法を話し合い、それには本件建物を被控訴人幸夫から控訴人に売渡すのが良策であるという結論に達し、その売買代金を金七〇万円とするのが相当であるとして、その手付金二〇万円が控訴人側親族から被控訴人側親族に手交されたのであるが、結局被控訴人幸夫において、右売買代金が安いと考えたためこれを拒絶し、右仲裁が実を結ばなかつたこと。
3 被控訴人幸夫は昭和四二年に先ず本件明渡の調停を申立てたが不調となり、その後原審訴訟中に被控訴人側の鵜沢三郎から本件建物を二階建てに増築し、控訴人が階下、被控訴人幸夫が階上をそれぞれ使用するという案が提案されたが、控訴人は、同被控訴人やその背後に居る鵜沢三郎を信用することができず、また互いに協調して同居生活を営むことも困難であるとの考えのもとに、右提案を拒絶したこと。
三以上の事実に基いて、当事者双方の事情を比較考量すると、被控訴人春江において本件建物を自ら使用する必要性は全く無く、被控訴人幸夫においてのみこれらを自ら住居として使用することに利便のあることが認められるが、同被控訴人についても、本件解約申入のあつた当時は勿論現在に至るまで、単に自己所有の家屋がありながらこれに住めないでいるという一事があるほかは、その居住関係は全く安定しており、右解約申入前一時的に本件建物に入居できないことが同人の結婚問題を推進する妨げとなつた時期はあつたが、それも結果的には結婚そのものの障害とならず円満に結婚することができ、結局被控訴人において本件建物に入居できなくとも、自己のその時々の生活の維持継続に支障困難を来たすわけではなく、また将来の生活設計ができないというが如き事情も何らないといわなければならない。他方、控訴人は、本件建物を明渡すとなると、直ちにその同居の家族と共に移転先に困難を感じ、仮に被控訴人らが自制的に主張する七〇万円ないし一五〇万円程度の立退料を被控訴人らから得たとしても、そのうち相当の部分は引越費用や移転先の権利金、敷金等に費消せざるを得ないことが明らかであり、また新規の賃料が継続賃料より高額であることは公知の事実であり、のみならず控訴人は長年にわたる家業を廃して収入の道を全く断たれる結果となり、従来維持して来た自立の生活を営み得なくなることは極めて明瞭である。そして控訴人程度の老令者といえども健康等事情の許すかぎり自立自活の生活を営むべきことは、社会的に是認肯定されるべきであり、ひいてはそれが老後の生活の安定や精神の平穏にもつながるものといわなければならない。これを要するに、控訴人が本件建物を明渡す場合に蒙る影響は、同人の全生活にかかわるものであるということができる。
また、従来の双方間の明渡交渉の過程において、控訴人のとつた態度には、やや不十分な点もないではないが、控訴人が職人気質の老人であり、本件建物を追い出されるのではないかとの被害感情を蒙つている者であること、その他前記各認定の事実全般を考慮すると、控訴人のとつた態度にも一応それなりの事情はあり、また控訴人側だけが責められるべきでもなく、結局その間控訴人において明渡の正当事由とされる如き信義則違背ないし不誠実があつたものとみることはできない。
したがつて、本件当事者双方の事情を勘案すれば、控訴人において本件建物を明渡す場合に蒙る不利益は、被控訴人幸夫において本件建物を自ら使用できない不利益よりも遙かにまさつていることが明瞭であり、右控訴人の蒙る不利益は、単に金銭的に補償可能なものばかりでないうえ、被控訴人の主張する如き七〇万円ないし一五〇万円程度の立退料によつて充たされるものとは到底考えられない。
すると、本件被控訴人らのなした前示解約の申入れは、正当事由を具備していないから、本件賃貸借契約終了の効果を発生するに由ないものであるところ、被控訴人らの請求は、右解約の効果のあることを前提としているから、すべて理由がなく失当である。
よつて、被控訴人らの請求はすべて棄却されるべきところ、その第二次的請求を認容した原判決は相当でないからこれを取消し、同請求をすべて棄却し、訴訟費用は敗訴当事者らの負担とし、主文のとおり判決する。
(豊水道祐 舘忠彦 安井章)